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上賀茂神社立砂

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由緒・歴史

御祭神

楼門

御神徳

厄除

雷(いかづち)の御神威により、厄を祓いあらゆる災難を除き給う厄除(やくよけ)明神・落雷除・電気産業の守護神として広く信仰されています。

方除

桓武天皇の御代に都が京都に遷されて以来、皇城鎮護の神、鬼門の守り神、総地主の神として崇められ、今日も建築関係等の方除祈願が多くあります。

由緒

神山

神代の昔、本社の北北西にある、秀峰神山(こうやま)[右図]に御降臨になり、天武天皇の御代(678)、現在の社殿の基が造営されました。
本殿御鎮座以後も広く庶民の信仰を集め、皇室の御崇敬は歴代にわたり、行幸啓は枚挙にいとまなく、国家の重大時には必ず奉幣、御祈願がありました。

二葉葵

嵯峨天皇は御杖代(みつえしろ)として皇女有智子(うちこ)内親王を斎王(さいおう)と定め、その制度は以来三十五代、約四百年続きました。

百人一首

6月30日に行われる夏越祓式(なごしはらえしき)においては、夕闇迫り篝火の炎が川面に揺らぐ中、氏子崇敬者より持ち寄られた人形(ひとがた)を投じ半年間の罪穢を祓い清めます。その情景は百人一首にある藤原家隆卿の歌に詠まれています。

かぜそよぐならの小川の夕暮れはみぞぎぞ夏のしるしなりけり

[出典] 新勅撰集巻三(夏)「寛喜元年女御入内屏風」

百人一首石碑

[作者・配列] 九十八番歌。家隆は定家と並称された歌人。生年・没年とも、定家に数年先んじる。百人一首で九十七番定家の後に置かれているのは、三番人麻呂・四番赤人の二歌仙と照応させた意図的な配置か(定家=人麻呂、家隆=赤人)。
家隆は歌道家の出身ではなかったが、俊成の門弟となり、九条家歌壇・後鳥羽院歌壇を中心に活躍、新古今集撰者となる。
後鳥羽院より「秀哥ども詠み集めたる多さ、誰にもすぐまさりたり」と賞讃され(御口伝)、九条良経より「末代の人麻呂」の称を得たと伝わる(『古今著聞集』)。承久の乱後は歌壇を遠ざかり、後鳥羽院への忠誠を貫いた。