御神話

上賀茂神社 御神話1

太古の昔、神代の時代に遡ること天上で雷鳴が轟き、一本の丹塗矢にぬりのやが降って参りました。

上賀茂神社 御神話2

山背國に移り住んだ賀茂一族の姫である賀茂玉依比売命かもたまよりひめのみことが石川の瀬見の小川(現在の賀茂川の上流)で身を清めているとき、川上より流れて来たその丹塗矢を不思議に思いお持ち帰りになられます。

上賀茂神社 御神話3上賀茂神社 御神話4

その矢を丁重に扱われ、床に祀りおやすみになられたところ、矢に籠もっていた不思議な力によってご懐妊され、立派な御子をお産みになられました。

お生まれになった神を当初は御子神みこがみと申し上げ、御子が元服を迎えしとき、祖父であり一族の長である賀茂建角身命かもたけつぬみのみこと八尋殿やひろどのを造り、数多の神々を招き七日七夜の祝宴を催されます。
祝宴の席で賀茂建角身命が御子に対し「父と思う神に盃をすすましめよ」申され盃を渡したところ、御子神は「我が父は天津神あまつかみなり」と言って盃を天上に向けて投げ、いらかを破って雷鳴とともに天へ昇ってしまわれました。

上賀茂神社 御神話5

残された賀茂建角身命、賀茂玉依比売命が再び御子に会いたいと乞い願っていたある夜、賀茂玉依比売命の夢枕に御子が顕れ「吾れに逢はんとは、天羽衣・天羽裳を造り、火を炬き鉾を捧げ、又走馬を餝り、奥山の賢木を採りて阿札に立て、種々の綵色を垂で、また葵楓の蔓を造り、厳しく餝りて吾をまたば来む」とのお告げを聞き、その御神託に従って神迎の祭をしたところ、立派な成人のお姿となり、天より神として神山に御降臨されたと伝わっております。

この御子神が当神社の御祭神「賀茂別雷大神かもわけいかづちのおおかみ」であり、そこで祭りが始まった事が上賀茂神社の起源であります。

『「釋日本紀」所引、山城國風土記逸文』、『賀茂舊記』より<.

社史

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    神武天皇の御代、神山に御降臨・御鎮座
    欽明天皇の御代、賀茂祭(葵祭)始

  • 白鳳 六年678

    山背国が賀茂神宮を造営

  • 延暦十三年794

    賀茂社行幸(参拝)、天皇行幸の始

  • 大同 二年807

    神階正一位(神様の位の最上階)授与

  • 弘仁  年927

    延喜式神名帳(神社の調査票)に記載

  • 長元 九年1036

    後一條天皇の御代、以後二一年毎式年遷宮を定められる

  • 寛治 七年1093

    宮中武徳殿の競馬奉納・賀茂競馬の始

  • 寿永 元年1182

    神主・重保曲水宴を設く(賀茂曲水宴の基)

  • 二年1183

    源頼朝下文により諸国の荘園を安堵

  • 建暦 二年1212

    賀茂斎院礼子内親王退下により斎王廃絶

  • 健武 元年1334

    後醍醐天皇賀茂社行幸・以後孝明天皇まで断絶

  • 文明 八年1476

    本殿・諸社殿焼失

  • 天正 二年1574

    織田信長賀茂競馬に馬を出す

  • 十九年1591

    豊臣秀吉により御遷宮

  • 慶長 五年1600

    徳川家康賀茂社参拝

  • 十五年1610

    駿府城の徳川家康に葵献上・「葵使」の始

  • 寛永 五年1628

    後水尾天皇・東福門院の御願により徳川秀忠御造営

  • 宝永 五年1708

    内裏(御所)災禍により、東山天皇細殿を行在所とされる

  • 文久 三年1863

    攘夷祈願の為、孝明天皇賀茂社行幸、将軍・徳川家茂は諸侯を率いて供奉。二一年毎の式年遷宮の勅あり
    本殿・権殿御造営

  • 慶応 四年1868

    王政復古の奉告の為、明治天皇賀茂社行幸

  • 明治 四年1871

    官幣大社の首位に置かれる

  • 三十四年1901

    古社保存法に基づき、本殿・権殿等が特別保護建造物に指定

  • 昭和二十八年1953

    本殿・権殿が国宝、三十六棟が重要文化財に指定

  • 三十一年1956

    賀茂祭行列に斎王代を中心とする女人列復興

  • 四十八年1973

    第四十回式年遷宮斎行、檜皮屋根葺き替え

  • 平成 六年1994

    第四十一回式年遷宮斎行、御神宝新調天皇皇后両陛下賀茂社行幸啓。「古都京都の文化財」の一つとして当神社全域が世界文化遺産に登録

  • 十八年2006

    古文書一括が『賀茂別雷神社文書』として重要文化財に指定

  • 二十七年2015

    第四十二回式年遷宮(正遷宮)斎行

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